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保険のプロが深めてくれた兄弟の絆 |
2005/12/09(金) |
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生きていくために
お客様からの感謝の声
保険の本当のすばらしさ、そして
その効力を実体験されたお客様の声を通じ
日々の仕事の意義を確認しています
名前は匿名でかえてあります
「また和夫兄さんに頼るしかないな」
主人はいつも困ったことがあると、異母兄弟の和夫兄さんに頼ってばかりいました。
和兄さんが10歳のとき、母が病死
その後父は再婚し、主人である知樹が生まれました。
ちょうど一回り違いの兄弟です。
一人っ子だった兄は弟ができたことで大変に喜んで自分の子供のように可愛がっていたそうです。
主人は可愛がられることに慣れすぎたみたいで
大人になっても困ったことがあると兄さんに頼っていたのです。
そのくせ、調子のいいときは兄に対抗心ばかり燃やしていました。
30歳のときに独立して、「俺も兄のように社長になる」と会社を興し、従業員10名ほどの会社に成長しました。
当時はバブル時代、主人の力というよりは
時代のおかげだったと思いますが本人は全く
気づいておりませんでした。
不動産業は俺にとって天職だとばかり威勢のいい
毎日でした。
そのとき、仲のよかった同業の方から「お互い運命共同体になろう。資金繰りを含めて成長していこう。互いに連帯保証人になろう」という申し出
があり、主人は快諾しました。
そのお陰で銀行融資で助かったこともあったのですが。。。
1994年に兄から生命保険の営業マンを紹介されました。
主人は生命保険はたくさん加入しているけれど
兄の紹介だから仕方ないなとしぶしぶ時間を作り
兄の同席のもと話を聞いたそうです。
外資系の保険で、主人はすぐに気に入り
全ての保険を翌月には切り替えてしまいました。
契約の際は私も同席し、私自身も大変納得し
私の保険もお願いしました。
それから3年後のことでした。
もうバブルもはじけて、主人の会社も下降線をたどり、資金繰りに苦労する月も出始めた頃です
突然銀行から1本の電話が。
取引銀行でも何でもない銀行からです
最近ではつきあいも疎くなっていた、運命共同体
になろうといっていた友人の会社が不渡りを出し
その連帯保証人が主人であるという電話でした。
本来はしてはいけないことだったのでしょうが、
お互いに白紙に印を押して渡しあった結果です
主人は知らないこととはいえ、自分のしてしまったことだと悩んでいました。
しかし資金調達できる術はありませんでした。
結局最後に頼るのは和夫兄さんでした。
2000万円の借金の申し入れです。
兄は即答で、兄嫁の預金を担保にすることで
銀行に交渉してくれました。
翌週には実行され、返済することができました。
その後主人は自分の会社を清算し、兄の会社に役員として迎え入れてもらいました。
そのときにひさしぶりに
保険の営業マンの方と面談いたしました。
兄の会社で役員としての法人保険の加入手続きのために。
その際、主人は連帯保証人の件、兄からの借り入れの件など、全てを担当のかたに話し、
「兄の好意に甘えすぎてもいけないとおもう。
このまま銀行に返済してもあと30年かかる。そのとき兄は80歳近く。生きているかもわからない。何か他に方法はないか」と相談しました。
担当の方は、銀行の借り入れ利率などを計算しながらこんな提案をしてくれました。
「銀行にはお兄さんの奥さんの預金で一括返済してもらいましょう。それから個人消費賃貸契約を正式に結び年利1%で返済し、退職金の一部を使えば60歳前に完済できます。利子も銀行にとられるよりはいいのでは?それまでに万が一の場合に備えて、逓減定期保険に加入しておけばカバーできます」とその場で返済シュミレーションを作ってくれました。
保険料を含めても毎月の返済額は以前よりも安くなり、なおかつ期限も短くすることができます。
素晴らしい案だと思います。
でも兄嫁にその話をするのか。
担当の方は「私が代わりに話をします弟さん
思いの社長さんですし、決して悪い話ではないですから」と翌日には兄の承諾を取り付け
銀行の手続きも行いました。もちろん保険にも加入しました。
この年1999年は久しぶりに明るい正月を迎えれそうでした。世間は2000年問題で騒いでいた時期です。
そして何事もなく年も明け、また変わらない毎日が続いていました。
唯一変わったことは、主人が兄の片腕となってイキイキと仕事をするようになったことです。
資金繰り、借金に悩まされることがなくなったせいでしょう。
2000年の春くらいから、主人の体重が徐々に
減っているように感じました。
ちょうど兄の会社が新規事業をはじめていて
年間で6店の出店を予定し、多忙な毎日でした。
主人は
「嬉しいくらい忙しい。ダイエットにちょうどいいよ」などと笑いとばしていましたが、毎日胃薬を服用しはじめていました。
70kgあった体重が7月には55kgまで
落ちていました。
急なやせ方が心配で、ムリヤリ病院へつれていきました。
検査の結果は最悪です
胃がんでした。
ステージそれも悪性のため、すぐに手術。
手術自体は成功でしたが、転移の可能性は捨てきれないといいます。
退院後、主人はすぐに仕事に復帰しました。
自分が兄にできる恩返しは、仕事しかないと信じているからです。
兄は休め、カラダを第一に考えろ!
と休みを業務命令のように強制していましたが
、主人は体調さえよければ仕事に没頭する毎日でした。
それから一年は体調も回復し、本当に元気な主人が戻って来たかのようでした。
しかし相手は悪性のガン。
静かにしているようで、虎視眈々と狙っていたようです。
恐れていた再発です。
今度は肝臓、そしてリンパ節へと転移していました。
定期的に抗がん剤を点滴でいれても消えることは
ありません。
その勢いを消すことができるくらいです。
薬は強いものに変わり、体重はどんどんへり
40kgをきってしまいました。
それでもガンは攻撃の手をゆるめてくれませんでした。
リンパ節の転移が発見されたとき、
医者からは最後も覚悟してください
と告げられてはいたものの、
現実をうけとめることができませんでした。
主人は医者から「このまま変わらなければ、薬をもう少し強いものにします」といわれたときに
「ぼくは生きられますか?生きられるとしたらどれくらいですか?しなければならないことがあるので正直に教えてください」
と聞いたそうです。
医者は主人の迫力にまけたのか、「長くて半年でしょう」と答えたそうです。
主人のそれからの決断と行動は早いものでした。
というより最悪を想定して、すでにわたしには内緒で保険の担当の方と何度となく打ち合わせをしていたのです。
主人のしなければならないことは2つでした。
まずは兄に不義理をしないこと。
次に家族との思い出をつくること。
そのために主人は保険の担当の方と一緒に担当医に会い、余命半年の診断書をもらってきて、リビングニーズの保険金の請求をしたのです。
兄に借り入れをしたときに加入した保険と個人加入した保険の一部の請求です。
保険金は翌週には主人の口座に振り込まれていました。
これは嬉しいことなのか、私自身は判断できませんでした。
すぐに振り込まれるということは、保険会社も
主人の余命半年を判断したということです。
でも主人は目の前にいます。
でも、保険金は支払われている・・・。
複雑な心境でしたが、現実を直視しなければいけないことを悟りました。
主人は口座から借入金残額を引き出しその足で兄夫婦のところにいきました。
現金を兄に手渡し、深々と頭をさげてひとこと
「ありがとうございました」と。
私も主人も、兄夫婦も会話はなく、無言で涙を流すのみでした。
帰り際兄から主人と私に
「これにサインだけしておいて」といわれ
何気なくサインをして帰路につきました。
翌日から子供と3人で温泉旅行に一週間
主人も体調はすこぶるよかったようで、
本当に楽しい旅行でした。
それからわずか2週間後、主人の容態は一気に悪くなりました。
そして、残念ながらなくなってしまいました。
今度は生前でなく、死亡保険金の請求です
担当の方の指示のもとスムーズに手続きが完了しましたが、振り込まれた金額が予想のものとはるかに違いました。
加入していた保険は終身保険が2000万円と
その後毎月の生活費として30万円もらえる
保険のはずでした。
2000万円の終身のうち、800万円は生前に
もらってますので、一時金は1200万円のはずです。
しかし振り込まれた金額は一時金で5000万円以上です。なぜ?どうして?
確か兄の家でサインした際に、保険の件とか少し
聞いたことはありましたが・・・
じつも兄も弟の容態を知ったときに、保険の担当の方といろいろ相談したそうです。
担当のかたから「もし弟さんに万が一の場合、法人から弟さんに支払える死亡退職金、弔慰金はどれくらいか。課税はどれくらいか」確認されたそうです。
そして担当の方から「変換という制度があります。株主の利益に相返する可能性はありますが、同族であれば可能かもしれません。税理士とも相談のうえ、判断してください」と。
兄も熟考のすえ、法人でかけている保険の半分を変換し、個人保険としてくれていました。
あのときのサインはこのためだったのです。
兄は法人のためにかけた保険でな
く、あなた達のためにかけた保険ですから・・・
と優しく笑いながらいってくれました。
生前から兄に頼りっぱなしの主人。
でも死の直前に、男として兄に感謝の気持ちを伝えられたのは保険のおかげです。
なくなった後に私から兄に返すこともできたと
おもいますが、
主人が最後に男としての散り際を作れた保険があったからこそ笑って天国にいけたのだとおもいます。
また兄がかけていてくれた法人保険の使い方も、
税理士の方が「素人でもこんな使い方ができるのか」と驚いていました。
税理士の方も兄も
「保険はプロから入らなければ真の保険にはならない。私たちは保険のプロに担当してもらって
本当に幸せだ」といっています。
担当の方に知識は礼儀ですからとしか
答えてくれませんが・・・
本当に感謝の気持ちでいっぱいです |
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