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実体の無い世間の常識にとらわれることはない |
2005/10/11(火) |
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多くの人達が、自分で自分の限界を決めてしまって、チャレンジしようとしません。
しかし、せっかくもって生まれた能力をいかさず、人生を無為に過ごすのは、とってももったいないことだとおもいます。
そもそも常識ってなんなのでしょうか?
辞書には、普通、一般の人が持ち、また持っているべき知識。
専門的知識でない一般知識とともに理解力・判断力・思慮分別などを含む
(広辞苑)より
辞書によむ定義を読むと、常識がある人はは思慮分別のある人ということになりそうですが、私にいわせれば、自分の頭の中だけで考えて行動しない人ということになります。
または「そういうことは常識だ」とか、「あの人は常識がない」などという言葉を耳にすることがあります。
この場合の常識とは、たいていその言葉を口にした人の主観にすぎないことが多いようです。
たとえば10人いたとして、全員の常識がピタリと一致することはあまりないとおもいます。
それまでに人生で経験してきたことや勉強してきたことも違うし、一人ひとり生き方や考え方が違うわけですから、一致するほうが不思議です。
常識という言葉を使うと、いかにももっともらしく聞こえますが、実はそんなものなどない場合が多いのです。
実態がないのに、他人や自分を納得させてしまうのが、常識という言葉の怖さなのです。
もちろん私は、多くの人がそうしているように、地道に働くことが悪いとは思っていません。
しかしなにか新しいことにチャレンジしようとしたら、人がやっていないようなことに挑戦し、常識の壁を打ち破っていかねばなりません。
周囲の人と同じことをしていて、そこからはみだすのを恐れていては、大きな成功はつかめないのです。
物理学者のアルバートアインシュタインは「常識とは18歳までに身に着けた偏見のコレクションをいう」と述べています。
またエジソンは大事なことは、頭の中に巣くっている常識という理性をまるごと捨てることだ」
と述べています。
世の中の成功者といわれる人たちは、常識にとらわれず、自分の信じた道、やりたいことを貫き通した人達なのです。 |
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