|
|
|
|
鮒谷さんの文章です
毎日ただボーッと生きている人はありません。
どなたでもさまざまな発見、気づき、学び、ひらめきが
一日に何度も訪れているはずです。
■ところがそんな、脳の中で生起(せいき)する思考やアイディアは、
ちょうど砂浜に描いた絵のようなもの。
次の思考の波が打ち寄せると、その瞬間にあとかたもなく消え去っている
ものです。
それがどれだけ素晴らしい閃きやアイディアであったとしても…。
■なんともったいないことだとはおもいませんか。
一日に一つの閃きを捨てているとすると年間で365個の閃きを失って
いることになります。
そして現実には、毎日、その何倍ものことを考え、知らされ、学び、
気付いているものなのです。
■たとえ思いついたことが小さなことであっても、
記録さえ残していれば、
あとからそれを核として、思考をさらに深堀りしていくことが
できます。
もしそれが何かのアイディアであるならば、
その小さな核から企画として煮詰めていったり、
あるいは実行に移していくための具体的な方策を考えることも
可能になります。
■記録に残すことは、いってみれば「橋頭堡(きょうとうほ)」
を築くことなのです。
橋頭堡とは、敵陣の中に築く味方の陣地のこと。
日本史でいえば信長の家来だった秀吉が美濃攻略のために
つくった墨俣(すのまた)一夜城がまさにそれ。
敵の本拠地を攻めるためには、この橋頭堡がとっかかりと
なります。
■その橋頭堡から、次なる橋頭堡を築き、
その橋頭堡をたよりに、またその次の橋頭堡を。
その繰り返しによって、ついには敵の本陣・本丸に攻め上ることが
できるようになります。
それと同じように、
日々思いついたことを記録というかたちで残すことによって、
それをたよりに思考を先へ先へと進めていくことができるように
なるのです。
■しかし橋頭堡がなければ敵陣の奥深くに攻め込んでいくことが
できないように、
何の記録も残していなければ、その日、そのとき考えていた
ことを思い出すことさえできません。
たとえば今年1年間、何を考え、何を実行してきたか。
それを記録に残していない場合は、1時間も語ったならば
ほとんど言い尽くしてしまうかもしれません。
(あなたはどうでしょう。今年一年間で考えたことをどれだけの時間
他者にお伝えすることができるでしょうか。
わたしは、「平成・進化論。」のバックナンバーを見ながらでも
いいよ、ということであれば、数百時間ではきかないくらい話を
し続ける自信があります)
■私は、365回のメールマガジンを橋頭堡として、
そのときどきにひらめいた思考をどんどん引きずり出してくる
ことができるのです。
何もそれは私が特別な人間だからではなく、単に思考の中身を
文字に落とす習慣を持っている、というだけの話。
■あなたの日々の思考も、なんらかの形で残しておくことを
おすすめします。
日記でもいいですし、日記はハードルが高いということであれば、
いつでもどこでも肩肘張らずに文字を落とすことができるブログ
というものもあります。
メールマガジンを出そうというと敷居が高い場合もあるかも
しれませんが、ブログならば比較的簡単に書き続けられるはず。 |
|
|
|
file missing
file missing |
|
|
|
|
|
|