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鮒谷さんの文章です
「自分と異なる世界の人と円滑なコミュニケーションを
とるために、教養は必須」
という話をしています。
■大学には、「教養部」というものを設置しているところが
多くあります。
教養部は、専門的な学問に入って行く前に広く一般教養を身に
つけることを目的としています。
■大学に入ったのだから、すぐに専攻の学問に入りたいと思うのが
人情でしょうが、
広く浅い教養もひと通り身につけていないと、違う学部の学生と
話がかみ合いませんし、
もし教授としての道を進む場合などでも、他分野の教授と協力して
何かを成し遂げることがむずかしくなってくるでしょう。
(その世界にはまるで詳しくないので憶測に過ぎないのですが…)
■教養とは、ごく単純にいえば、自分と異なるフィールドに
存在する人が使用する言葉(語彙:ごい)を幅広く理解していること
だといえるでしょう。
■当然のことながら、
大企業の経営者と、中小企業の経営者では、その語彙は決して
同じにはならないでしょう。
会社員と公務員でも違うでしょうし、
学校の先生と生徒の世界もまるで変わってくるはず。
世界観が違うから語彙も変わってくるし、
語彙が違うから、また世界観も異なってくるわけです。
■ビジネスにおいてもさまざまなフィールドがありますが、
自分とはまったく異なる世界の人とでも、彼らの言語体系さえ
理解していれば、
あとは想像力を駆使して、その世界観を推察することが可能に
なります。
■語彙を理解することを取っかかりとして、その人の背景となる
世界観をつかむ。
それができれば、あとの専門的なものがなくても、
最低限のコミュニケーションは図れるものです。
あとはそれをベースとして会話をし、自分の聞きたいことがあれば
聞いていったらよいのです。
■基本的には人間というのは話し好きな動物です。
どんなにコミュニケーションが苦手だという人であっても、
家族であったり、ごくごく親しい友人に対しては饒舌(じょうぜつ)
になるもの。
だから本来的にはコミュニケーションが苦手だという人は
存在しないはずなのです。
■問題は、相手と自分とのあいだに共通の語彙があるかどうか。
それによってハードルが取り払われたり、ハードルができて
しまったりします。
■基本的に人間はコミュニケーションをしたい、しゃべりたい
生き物なのですから、
共通言語を使ってしゃべる人に対しては、どんどん話がはずんで
当然。
特に成功者といわれる人になればなるほど、実は話し好きで、
自分の想いを聞いてもらいたい!と強く思っているものです。
■そのためのフックがかかるかどうかというのが、
昨日言いました共通項であったり、
今日お話ししている各世界の語彙であったりするわけです。
そういうことを意識していくと、もう一段上のコミュニケーションが
図れるようになってるのではないかと思います。
■補足しておきますと、
出身地が同じだとか、出身校が同じといった相手との「共通項」を
手がかりとした話では、浅いレベルのコミュニケーションにしか
なりません。
共通項を突破口として相手と接近することができたら、
次の段階として、相手の世界観を認識する必要があり、
その「相手世界の認識」を助けるものが教養なのです。
■共通項を見つける能力を磨くより、広く教養を身につけることの
ほうが難しいことではありますが、
より深いレベルでのコミュニケーションを実現しようとおもったなら、
教養はどうしても必要になってきます。 |
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